【古本屋のショートショート】 青

カーブに差し掛かって、ちょうど真正面に見えた群青の海は、
ボンネットからの熱を受けて入道雲を揺らしている。

晴れた夏の海岸通りはとても渋滞していて、
思ったよりずっと時間がかかってしまった。

僕は右手に海を見ながら、のろのろと、
機嫌の悪い、古いポルシェをなだめすかして、
君の家へと昇る小道の角を曲がった。

長い駐車場のような国道を離れると、突然、緑深い小路になる。
窓を開けたら、蝉の声が溢れているだろう。
舗装がでこぼになった、木々のトンネルをゆっくりと抜けると、
君の住む古風な日本家屋に、やっと辿りついた。

エンジンの温度がすこし高くなりすぎたのを気にしながら、
イグニッションを切る。すっかり熱くなった空冷エンジンは
キンキンと金属音を鳴らして不機嫌さを表現している。

そのとき、門の格子戸が開き、君の白い顔が目に入ってきた。
君は涼しげな紺紬で、僕を迎えてくれた。

初めて見る着物姿に少しの間、驚いていたのだろう。
君の目がいたずらそうに笑いながら、問いかけてくる。

「やあ・・・その、とても綺麗だ。」

ぼくは言葉を捜しながら言ったものだから、喉にひっかかって
おかしな声になってしまい、すこし慌てた。
君はそれを笑うと、「さあ、どうぞ、おあがり下さい」と、
とても丁寧な言葉と、完璧に穏やかな笑顔で僕を迎えた。

うっそうと暗い家の中に目が慣れると、
案内しながら数歩先を歩く君の、
足袋の白さがぼんやりと浮き上がる。

手入れの行き届いた黒板の廊下を進み、縁側のある部屋に通された。涼しく、風の吹き抜ける、部屋の縁側越しには、眩い水平線と、
さっきまで僕が参加していた渋滞の続く国道が浮き上がって見える。

狂おしい夏の光を、平然と受け止め、この家だけが超然として、
落ち着いた暗さを守っているように感じる。

「今日はゆっくりしていくんでしょ?」

「うん、そのつもりで来たよ。」

「よかった、御飯の用意をしてあるの。」

「おお、それは素敵だ。」

さらりとした肌触りの、麻の座布団に腰をおろすと、
蝉の声に入れ替わって葉擦れの音が聞こえ、
硝子の風鈴が「りん・・」と鳴った。

衣擦れの音をまとわせて、君が盆を掲げて戻ってきた。

紺の紬。襟もとから細いうなじにかけてのほっそりとした線が、
いつも快活な彼女を、今日は別人に見せている。

「着物、とても似合っている」

「ありがとう。やっと着付けにも慣れてきたのよ」

そういいながら、彼女は右手の袖を押さえて、ぼくの前に
切子硝子の猪口を差し出し、揃いの徳利で酒を注いでくれた。

酌を受けているうちから、よく冷えているのがわかる。
口に含むと、すっきりとした味と、馥郁たる樽の香りが昇る。
僕はほっとして、そして、気がついて肩の力を抜いた。

君はそんな僕の様子を、なんだか面白そうに見ている。

涼しげに霜をまとった、切子硝子の徳利。
その深い紺色のなかに、絶妙な大きさに、
鋭く刻み込まれた格子模様。
素通しの首に、明るい夏空のブルーが映って、光った。

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