【古本屋の小説】 向日葵(ひまわり)・・3

そのレストランは、気の早いコオロギの声を聞きながら

夜道を、ふたりで、そぞろ歩いても5分くらい。

海岸沿いの国道から一本入った、静かな道に面している。

暗い住宅街でそこだけ、オアシスのように暖かい光が漏れるお店だ。

彼女は黒いワンピースに着替え、ピアスとネックレスに金をあしらい、

とてもシックに見える。較べると、Tシャツのままのぼくは、ちょっと間抜けだ。

顔なじみの店員さんに挨拶をして、とても機嫌よさそうに振舞う彼女。

こういうときの彼女は、例の、イノセントな曇りのない笑顔と、

ほんの少しのセクシーさを見せて、まったく、非の打ち所がない。

僕はそんな彼女が自慢で、人に彼女を会わせるのがとても嬉しい。

「ここはシーフードレストランなのよ」

という彼女の折角のご注進には耳を貸さず、

「だって、さっき、僕のエネルギーは全部君にとられちゃったよ」

とうそぶきながら、僕はこの店では普段食べないステーキを、

彼女は順当に、平目のムニエルを頼んだ。

さすがにワインは、平目サマを尊重して白を頼む事に決めた。

ワインのテイスティングが終わった時、彼女はバッグから一枚の便箋を差し出した。

「見て欲しいの」

そういわれて、手渡されたレターには、英語で、入学許可書と書かれていた。

「NewYork Dance Accademy?これって前に行きたいって言ってた?」

「そうなの。欠員が出たらしくて・・・今週の初めに届いたのだけれど・・・」

そのとき、僕はこの先のストーリーを全て理解した。

9月にはおそらくスクールがはじまる。だとすれば、

彼女は間もなくここを飛び立って行くことになる。

そして、この場所には2度と帰ってはこないだろう。

いや、帰ってきてはいけない。

そして何より、僕は今、ショックを受けた顔をしてはいけない。

僕は目に力を入れると、ことさらに明るく、大きな声で言った。

「凄いじゃないか!やった!今日はお祝いだ!」

「ありがとう・・・」

きみは目に涙を浮かべている。君が嬉しいのか悲しいのか、

今の僕にはわからない。




それからの一週間は、ヴィザの申請や買い物などで、

彼女はバタバタ忙しくしてはいたものの、

僕たちの間には、特に何事もなかったように過ぎた。

僕はいつもどおり、朝、起きたら波乗りをして、

(あんまり良い波はこなかったけれど)

午後、少し仕事をして、彼女と食事をしたり

当たり障りのない話をしたりして、過ごした。

でも、ひとつだけ変わったことがある。

僕たちのセックスは、とても穏やかで優しいものになった。

貪ったり、情熱をぶつけるようなところは、なりを潜めた。

こわれものを扱うように、時間をかみ締めるように、慈しんだ。

僕には、そのやり方しか出来なかった。

そして、ついにその日が来た。

朝食を済ませ、きちんと洗い物をすませた君は、

ちょっと緊張した顔で居間に立つと、

腰に手を当てて胸を張り、ぐるりと部屋の隅々まで見渡した。

彼女はこれから実家に行き、明後日の便で発つ予定だ。

君は真正面から僕を視線で捕まえてから、とても静かに言った。

「いままでありがとう。向こうに着いたらメールするね。」

「うん、からだに気をつけて、頑張って。あとで後悔のないようにね。」

「あなたも、身体に気をつけてね、お酒のみすぎちゃ、いやよ」

「あはは、そうだね。」

「ねえ、私に、行って欲しくないって、どうして言ってくれなかったの?」

「う~ん・・後から、あいつのせいだ、って恨まれたくなかったからかなぁ?」

「そう・・・・」

僕たちは、唇がふれるだけのキスをすると、表へと出た。

日差しの中にオレンジ色のタクシーが暑苦しく待っている。

タクシーに大きなケースを積み込むと、

「ありがと・・また・・ね・・」

と顔を伏せながら、そう言って、車に乗り込み・・・

そして、僕の愛するダンサーは、・・・本当に行ってしまった。




急にガランとしてしまった家は、とても暗く見えた。

僕はいつものように、冷蔵庫からハイネケンを取り出すと、

ウッドデッキの椅子に、腰を下ろした。

アブラゼミが暑苦しく鳴いている。

ぼくはハイネケンを飲み干して、緑色の缶を握りつぶした。

すこし雲の多い空に、向日葵だけが、馬鹿に元気に咲き誇っている。

ふと、向日葵に話しかけながら水をやっている、彼女の姿が浮かんだ。




・・・・・・・・・?

突然、おかしくなった。

何かが吹っ飛んだ。

目の前の風景が歪み、意味を成さなくなった。

胸が痛み、わけのわからないものが、心臓の上のあたりで暴れている。

ボタボタ、音を立てて流れる涙。

塊になり、次から次からせり上がって来る嗚咽。

僕は両手を握り締め、子供のように下唇を噛んで、泣いた。

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